登記前史(地券の世界)

 明治5年の明治政府による田畑売買解禁政策および明治6年の地租税制度改革である「地租改正」を実施したことにより日本に初めて土地に対する私的所有権が確立し、その公証手続として土地所有者に「地券」が発行された。

 しかし所有権の公示機能しかなかったこと、建物については同様の制度がないなど、制度設計の不備と煩雑性が問題視されるようになり、明治19年の登記制度の誕生と明治22年の土地台帳規則の公布により地券制度は廃止された。

つぎに手許にある地券のいくつかをご紹介する。

(1)壬申地券

 

 明治5年政府による田畑売買の解禁政策がなされた。そしてその売買・譲渡による所有権の異動を明確にするため、地券が発行された。その年の干支に因み「壬申地券」と称されるもの。この地券には、検地帳や名寄帳などをもとに、所有者や地価・地租などが記載された。

本券は、明治7年の小倉県発行のもの。桐花の透かし入り和紙に木版刷りの重厚なものである。

 

 

(2-1)改正地券(青地券・表面)

 

 明治8年に地券の様式が全国一斉に統一された。

意匠はキヨッソーネによって考案され、大蔵省紙幣寮印刷局の製造によるものである。

本券は、明治14年には大阪府に統合されその姿を消した「堺県」発行のもの。堺県発行のものは、後日大阪府の奥書証明が追加され、堺県の印影が消去されているものが多いが、これにはそれがなく極めて珍しいものである。

(2-2)改正地券(青地券・裏面) 

 

裏面には、譲渡による裏書がなされて、地券を取扱う郡長の証明印が押捺されている。

 

「裏面の文言」

日本帝国の人民土地を所有するものは必らす此券状を有すへし

日本帝国外の人民は此土地を所有するの権利なき者とす故に何等の事由あるとも日本政府は地主即ち名前人の所有と認むへし

日本人民の此券状を有するものは其土地を適意に所用し又は土地を所有し得へき権利ある者に売買譲渡質入書入※することを得へし

売買譲渡質入書入等をなさんとするものは渾て其規則を遵守すへし若し其規則に因らすして此券状を有するとも其権利を得さるものとす

 

※「書入」とは、現在の抵当権設定のことである。

 

 

(3)改正地券(茶地券)

 

 明治8年の青地券からさらに改正された様式による地券(茶地券)

裏面のスタイルも変わったが、地券の権能についての文言は、青地券と同じものが縷々記載されている。

この様式のものが地券制度の終焉まで用いられることとなった。

発行所は、大蔵省印刷局となっている。

 

(4)改正地券(コパルト地券)

 

 この山梨県地券は、頭書に「明治八年改正」と朱書きされているように用紙統一後の発行のものだが、独自の用紙が使用されている。

鮮やかな藍色の縁取りから「コバルト地券」などと呼称されている。 

 

(5)改正地券(福岡白地券)

 

 この福岡県地券も明治8年の改正地券ながら、壬申地券のような白地に罫線だけの簡素な用紙が使用されている。

 独自の用紙を使用していた県には、これらのほか山形・石川各県があるが、これらはともに民費節減を理由に許可されたものである。

 

 

(6)地券書換願(紀伊国名草郡里村)

 

 土地が売買された時は、売主・買主の連署の上、戸長の奥書を得て地券台帳の書換を申請した。同時に当該地券を添付して所有者が変わった旨の裏書をしてもらい買主に交付された。

この用紙は、定型文言が木版刷されていて、固有文字だけ手書きすればそのまま利用できるものとなっている。(当該用紙は、未完のまま申請されずに手許に残っていたものと思われる。)

また末尾には、当該申請用紙を販売している業者名(売捌所 和歌山区東長町五丁目 堀平馬)が印刷されているところから、この当時、定型書式用紙として一般に販売されていたようだ。

 

 

(7)地券取調係任命辞令

 

 明治6年の愛知県発給の地券取調係任命辞令である。

 

 月俸の2円については「村費」から支払うべしとある!

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