ドクターイエロー(電気軌道総合試験車)の変遷

(1)初代電気軌道総合試験車・・・922形0番台(T1編成)

 これは、昭和39年に登場した初代電気軌道総合試験車922形0番台であるが、もとを糺せば、昭和37年新幹線の開業以前に試作された極めて由緒正しき新幹線試作車輌のB編成(1003・1004・1005・1006)となる。新幹線開業前に日本国民の耳目を集めたあの新幹線である。

 

しかのみならず、このB編成は、昭和38年3月30日に速度向上試験において最高速度256km/hをマークし、当時の世界最高速度記録車となった。

その時を記念して写真の速度記録銘板が先頭車の列車番号表示窓の下部に取り付けられたのだった!

 

 

  速度記録名板を取り付けた新幹線試作車輌のB編成の先頭車

 

  トラベルフォトニュース第17巻第1号(通巻第161号)昭和38年12月25日

  発行より

 

 

 ところで、この先頭車922-1(旧1003)を見ると元々1灯式だった前照灯は2灯式に、運転席の窓は、当初曲面ガラスが用いられていたが、昭和39年の改造時に平面ガラスに改造されてしまった。

 

しかし側面の列車番号表示窓とその下部の“ホマレの銘板”はそのままとなっている。

(←  一枚目の写真の右側面を拡大したもの)

 

 

 また2両目の922-2(旧1004)は、側面にX型の鋼材を用いてより軽量化が試みられたため、窓枠が前衛的な六角形となっている。しかし残念なことに実際の運用車輌では、この六角窓は採用されることがなく、予想外の結果に落胆したファンも多かった。(ただし、新幹線開業以前に記憶のない小職にとっては、この時の邂逅は驚嘆をして余りあるものだった!)

 

 しかしながら寄る年波には逆らえず、このT1編成は、新しくT2編成が投入されたことを機会に、この撮影(昭和49年9月)の直後である昭和49年10月には現役を引退し、昭和50年末に廃車の上、惜しくも翌昭和51年には解体されてしまい、現存する車輌はない。

 

 

 ともに昭和49年9月16日新大阪駅にて撮影

 

(2)3代目電気軌道総合試験車・・・922形20番台(T3編成)

 

 昭和54年製造されたもの。側窓が広窓のT2編成と異なり、側窓が小窓になっている。これは製造時0系27次車(1000番台)と同時に発注されたため、デザインが統一されたものと思われる。JR発足後はJR西日本に属し車体側面に白い文字で“JR”と大きく描かれていた。

 

 平成17年9月に廃車となったが、JR東海に譲渡の上、現在は先頭車両922-26(写真のもの)のみであるが、平成23年3月に開館した名古屋のリニア・鉄道館で展示公開されている。

 

昭和57年1月8日新大阪駅にて撮影・・・しかし、何と閑散とした新幹線ホームなのか!

 


(3)4代目電気軌道総合試験車・・・923形0番台(T4編成)

 一般運用車輌の高速化に伴い、平成12年に700系をベースに開発された4代目ドクターイエローである。  

 車体の塗装が、T3編成までの黄色に比べて明るく鮮やかなマリーゴールドイエローに変わっているのが、この写真からも判る。

 また一般車輌と異なり、前照灯以外に中央にふたつのテールランプを収納するスペースが増設されて、そのテールランプの間には前方監視のためのテレビカメラが備わっている。    

運転室扉には“T4”との表示あり 

             

平成23年2月23日東京駅にて撮影

 

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